カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
生存確認用写メ日記
▲画面クリックで別窓表示。
こちらにもコメント機能があるので気になる写メには是非横レス入れてやって下さい。
最新記事
(08/05)
(04/26)
(02/17)
(12/27)
(08/04)
[ リラックマ ]
カテゴリー
リンク
ブログ内検索
アクセス解析
アフィリエイト
忍者アナライズ
真壁華夜がその日・その時感じたことや考えたことの整理或いは備忘録的に使われることもあれば萌えメモとして使われることもあるし、日常の愚痴をこぼしていることもあるかと思います。基本的に偏屈な管理人sが綴っているのでその辺を許容できる人向け。反感買いそうなものは裏日記に書くようにしています。
2010/05/29 (Sat)
00:40:47
「この…バカオロカめ、やり直しだッ!!」
端整な顔を怒り一色で染め上げて、探偵は助手を怒鳴りつけると深深と溜め息を吐き大袈裟に嘆いた。
「まったく、何でこうもオロカなのだ。サガシやシラベは下僕の役目だから任せたというのに何という失態! 何という無能さ」
「え? ちょっと、待って下さい」
突然の罵倒はいつものことだが出掛ける前は確か「カマも偶には役に立つじゃないか」とどちらかと云えば上機嫌だったはずだ。詰られる原因として思いつくところは現状では唯一つ。しかし。
「僕ァ事前に断ったじゃないですか…多分榎木津さん好みの食感ではありませんよって」
「違ぁーう!」
年齢にも顔にも不相応に間延びした声で、探偵は眉間の皺を更に深くする。
「悪いのは洋菓子じゃなくて店だッ!」
「店?」
ますます解らない。
「いいからすぐにやら直す! 早く別の店を見つけて来いッ!!」
「見つけるって」
憤慨している当の榎木津からは、珍しい洋菓子を扱っている店か珍しい洋菓子を探してこいという指示しか受けておらず、かなり苦労して探し出した店は否定されてしまったのだからせめて何が気に入らなかったのかくらい教えてもらわなければ探しようもない。
「無能」
「はぁ、仰る通り僕は中禅寺さんみたいに云われずとも榎木津さんの云いたいところを察するなんて芸当出来ません」
そう返すと探偵はますます嫌そうな顔をして、
「……口にするのも不愉快だから一度しか云わないぞ」
と、この上なく不機嫌な顔を断った。
「はぁ」
本当に、最上級の嫌そうな顔をして、それでも探偵は「あー」とか「うー」とか煮え切らない声を発し、やがて深い溜め息を吐いて口にする。
「いいか、ソウが知らないことが条件だ! 解ったさっさと行って来い!!」
嘗てないほどの難題ぶりに、軽い眩暈を覚えながらも探偵助手は追い立てられるように事務所を後にしアテのない調査を仕方なく再開したのだった。
【誘致の綻】
正月も過ぎて一月も半分ほど終わり、小さいながらもその地に根差した神社として忙しい日の続いていた武蔵清明社も、漸く落ち着いた時間を取り戻して神主も何時もの生活に戻っていた。
昼下がり、自宅から続きの古書店の帳場。
旧年と同様、正月を終えたばかりだというのに連日葬儀に見舞われたかのような仏頂面で、これまた旧年と同様時代を感じさせる和綴じの本に店主は目を落としていた。
そこへ。
近付いてくる跫が一人分。大抵、客は古書店ではなく店主に用がある者ばかりで、そして眩暈坂と呼ばれるいい加減な傾斜がだらだらと続く長い坂を上ってくるのだがその客は坂とは反対方向から店へとやって来た。
店先で一度足を止め、店主の、達筆のようにも悪筆のようにも見える筆跡で「京極堂」と書かれた看板を見上げると、来客は小さく笑みを零して出入り口の戸に手を掛けると。
「うわはははははは! 矢っ張りここにいたなッ、この本馬鹿!」
外見の品の良さに反して勢い良く、無作法に戸を開けるとこれまた無作法に、静寂に包まれていた古書店どころか近所中に聞こえそうな豪快な声で来客は叫んだ。
店主はそれに動じた風もなく、更に溜め息ではなく微苦笑を湛えた顔で応える。
「明けまして御目出度うございます」
来客は一瞬だけ驚いたように数回瞬きをして、残念そうにその端整な顔を微笑ませた。
「矢っ張り、君は騙されてくれないみたいだ」
「すみません、彼奴とは無駄に付き合いが長いもので。それに総一郎さんとは雰囲気が全然違いますから…如何しても」
申し訳なさそうに弁解する古書肆に、来客の方はさして気にした風もなく笑顔で応じると話題を仕切り直すように小脇に抱えていた包みを帳場の机に置いた。
「改めて――あけましておめでとう。ちょっと、遅くなっちゃったけど。これ、御年始」
「すみません、わざわざ……」
「賄賂、兼ねてるから気にしないで?」
爽やかなな笑顔に不似合いな言葉をさらっと口にして本題を切り出す。
「今日、この後忙しいかな」
「特に先約はありませんが…何か?」
「良かった。じゃあ、出掛けよう」
このあたりの強引さは矢張り、あの探偵と兄弟であることを思わせる。
ただ兄の方が物腰の所為か切り出し方がスマートなので断りにくい。
「すみません、順番にお願いします」
「え? あぁ…そうか。うん、甘味同盟の実地調査のお誘いだね」
甘味同盟。
活動は不定期。活動内容は美味しい甘味――和菓子洋菓子を問わず――を扱う店、もしくは商品自体を見付けたら互いに連絡し合うこと。そして時間の都合が付く際は、総一郎の仕事を兼ねた実地調査に付き合うこと。
だっただろうか。
記憶の中から探し出した情報から要約すると、総一郎が悪戯っぽい笑顔で告げた言葉は単に「時間があるなら甘いものを食べに行こう」と誘っているに過ぎないことが判る。
「そういうことでしたら」
微笑って、
「愚妻に断って来ますから少しお待ち下さい」
と、古書肆はそのまま続きの母屋へと姿を消して、五分後には上着を羽織った姿で戻って来た。
「お待たせしました」
「じゃあ、行こうか」
店先に「骨休め」の札を下げ、戸締りをして総一郎の後に続く。眩暈坂とは反対方向に足を向けたのが少し意外だった。
「車でいらしたんですか?」
「そう。時間、勿体無いし。隣町の方からなら近くまで来られるから」
上機嫌に歩く背中に数歩遅れてついて行く。歩幅や姿勢は見慣れた探偵の歩き方によく似ていた。雰囲気も、今の状態ならとてもよく似ている。穏やかで、無邪気で――何か強烈な引力めいたものを持っていて。結局それに引っ張られてしまうところまで、本当に。
「どうかした?」
肩越しに振り返って尋ねる声に「いいえ」と笑顔で返すとそれ以上詮索はされなかった。
この辺の引きの良さが弟と違う点かもしれない。
車に着くと助手席に乗るよう促され、同乗した車は緩やかに街中へと向かう。運体は丁寧で他愛ない会話を交わしながらの短いドライブだった。通行の邪魔にならないよう路肩に停車して、立地のためか盛況な様子の少し高級そうな喫茶店へと促された。
「仕事でね、取引してるお店」
察して手短に説明すると、ドアを押し開き中へと足を踏み入れる。その後に続くと総一郎は既に入り口に立つ女給に席を頼んで中禅寺がついて来るのを確認すると案内に従い席に腰を下ろした。
「実はね」
中禅寺が座るのを待って切り出す。「ここの菓子職人、僕のお店の洋菓子を任せている人なんだけど。勉強熱心な人で。この前、珍しいお菓子の話を聞いて福岡まで行って来たんだって」
「福岡…ですか?」
「そう。――ほら、飛行機の国内線が運行してるでしょ? それで」
「わざわざ飛行機で…ですか?」
「その方が早いし。それに、機内食が重要でもあったから」
「何か珍しいものでも?」
「うん。それをね、今日は試して欲しいの」
総一郎は端整な顔を期待の笑みでほころばせて、見計らったように現れた女給が置いた皿乗った洋菓子を早速食べてみるよう促した。
そんな展開など予想だにせずに。
彼らが到着する少し前に店を出た一人の男性客が、満足そうな顔をして駅へと向かっていた。神保町方面の電車を待ちながら、一点だけ気になっている部分に思いをめぐらせる。
「問題は榎木津さんが食べられるかってところなんだよなぁ……」
ホームで電車の到着を待ちながら呟いたのは、誰あろう天下の薔薇十字探偵――の、助手であるところの益田龍一である。
「とりあえず、報告するだけ報告してみよう」
程なくやって来た電車に軽い足取りで乗り込んで、探偵助手は神保町で下車し真っ直ぐ職場に戻り結果を探偵に報告した。すると、
「おぉ、カマも偶には役に立つじゃないかッ!」
などと、珍しく褒められて逆に落ち着かない気持ちになった。
「あのですね、一つだけ気になることがあるんです」
「ん?」
「食感がですね、もしかしたら…と云うか、多分、榎木津さんの好みじゃない気がするんです」
「なぁんだ、そんなことか」
そんなこと、だったらしい。
「いいよ別に」
ぞんざいに応えて探偵は、鼻歌交じりで自室に戻る。
あれこれ予定を組み立てて――翌日を待った。
昼過ぎに目を覚ました探偵は、遅い朝食――世間では昼食の時間だったのだが――を済ませ、いつもの奇抜さから比べるとかなりおとなしい格好をして、上機嫌に事務所を出て行った。
電車を乗り継いで中野へ。彼に会うのは久し振りだった。
正月の賑わいがナリを潜める頃までは、神主としての仕事が立て込みいつもなかなか時間を取れない。
しかし、それももう落ち着いていい頃だ。
変わり行く車窓を眺めながら中野まで運ばれて、下車した駅を後にして、だらだらといい加減な傾斜の坂道を軽い足取りで上って目的の古書店の中の様子を探ると目的の人物はいつもの場所にいつものようにいつもの顔で座っていた。
小さく、満足そうに微笑って手を掛けた戸を勢いよく開く。
「うわはははははは! 矢っ張りここにいたなッ、この本馬鹿!」
古書肆が控えめに噴出したのを一瞬で隠すと苦笑をゆっくりと時間を掛けた一回の瞬きでいつもの不機嫌な表情を取り戻して探偵を睨むように見た。
「戸はもう少し丁寧に開け閉てしてくれないかなぁ。外れたり壊れたりしたら本に障るじゃないか」
「仕方がない、この僕が来たのだ」
「それで? 一人かい?」
「二人に見えるのか?」
「とりあえず、また面倒な事件に巻き込もうってことじゃあないようで安心したよ」
「ふふ、そんな無粋なもの連れてなどくるものか」
いやに機嫌がいい。
それが、古書肆に余計嫌な予感を抱かせる。
「暇だろう?」
「忙しいですよ」
「暇じゃないか」
「あんたにはただ本を読んでいるようにしか見えないかもしれないが、僕はここでこうして客を待っているんだ。だから断じて暇なんかじゃないよ」
「よし、出掛けよう」
「だから」
「行くぞ」
人の話など聞こうともせず、古書肆が読んでいた本をひったくるように取り上げると満面の笑みで反論全てを飲み込ませた。
深い溜め息を吐いて、相変わらずの遣り方に仕方なく折れる。
「待っていて下さい。千鶴子に断って来ます」
追い出すように探偵の店の外に出すと、「骨休め」の札を掲げて戸締りをし、続きの母屋を経由して――矢張り五分後には玄関から姿を現した。
「で、何の用です?」
「着けば解る」
「勿体振るなぁ」
「ふふ、偶には外でお茶をするのも悪くないだろう」
「……榎さん」
「なぁに?」
「何を企んでいるんです?」
不穏な気配に足を止めると当の探偵は「勘繰るなよ」と悪意なく笑って見せた。目的地に着くまで話す気がないらしい。
中野駅に着いて電車に乗り、一度路線を乗り換えて数駅目で下車をする。下りた街の風景は見慣れた場所ではなかった。
「ここは……」
「少し歩くぞ」
榎木津はポケットに忍ばせていたメモの簡易地図を見ながら歩く。
その背中に今日も数歩遅れて中禅寺は歩いていた。
矢張り、良く似ている。
歩き方や姿勢。少し癖のある髪の流れ。
「……ん?」
「どうかしたのか?」
「いや」
見覚えのある風景に重なる。
見覚えがあると云うか、ここは。
「あぁ、この角だな」
曲がると大通りに合流し、その賑やかな通り洒落た概観の喫茶店が姿を見せる。
「この店か」
西洋風のドアを開けて探偵は中に入る。
既視感。
昨日、彼の兄に案内されたばかりの店だ。
如何いう心算なのだろう。
真意を測りかねて、しかし中禅寺はそんな思考を隠して探偵に続く。
「いらっしゃいませ」
出迎えた女給は昨日とは違う人物だった。
「お二人様ですね、それではこちらのお席へどうぞ」
案内された席は、昨日とは通路を挟んだ反対側。
「お決まりになりましたら及び下さい」
「いいよ、今で」
革張りのメニュを受け取るなり、探偵は目的の名前を探す。
「どれだ? えぇと……」
けれど結局メニュの中から探すのを諦めて、さっきのメモを取り出すと間延びした声で読み上げた。
「すいーとぽてと、二つ。後――珈琲? 紅茶?」
「僕は紅茶で」
「じゃあ、僕は珈琲にしよう」
「畏まりました」
女給が去ると、悪戯っぽく笑って「どうだ?」と徐に尋ねてきた。
「どうって、何がです?」
「店」
「悪くないよ」
「知っているか?」
「スイートポテト、ですか?」
「そう、それ。そのすいーとぽてと」
「これは…洋菓子に入るんだろうなぁ。和製の洋菓子、と云っても差し支えないかもしれないが――大阪に、確か昭和三年に創作したっていう菓子店もあるが最近は福岡の方が有名かもしれない。こっちは戦後、国内線の運行開始から添乗員の間で評判になったそうだよ。ここの店主は福岡の方を聞いて学んで来たとか云う話だ」
「ふうん」
相変わらず聞けば何でも答える古書肆の言葉を榎木津は珍しく機嫌良く聞いていたが。
「ん?」
頷いてから、気付く。
今、何て云った?
「お待たせ致しました」
着想を攫ったのは女給の愛想の良い声と目の前に置かれた洋菓子。そして香りの良い珈琲。
「ごゆっくりどうぞ」
完璧な笑顔で云い置いて去っていく。着想は彼女に回収されてしまったようで何か違和感を感じた気がしたのだけれど霧散してしまったようだった。
「よし、食べよう」
添えられたスプーンで端を削って口に含む。
甘い、薩摩芋の味がした。
しかし。
「あぁ、矢っ張りあんたは苦手な食感だったみたいだな」
まただ。
「おい」
「何だい?」
顔を上げた中禅寺と目が合う。
そして、視界を邪魔する彼の記憶に。
「……ソウ?」
自分に良く似た顔が視えた。でも自分の記憶にはないのだから、それは。
「お前、ソウとも来たのか?」
思いがけないところに誘致の綻を見付けて探偵は表情を曇らせた。
何でもないことのように、古書肆はあっさりそれを肯定する。
「この店にかい? 来たよ、昨日」
「昨日?」
「突然店にいらしてね。実地調査に同行したんだ」
思い出して、可笑しそうに小さく笑う。
「今日、あんたが入って来た時と同じ台詞を同じ行動で口にするものだから。矢っ張り兄弟っていうのはそういうところも解るものなのかな。顔が似てるだけに堪えるのが大変だった」
「聞いてないぞ」
「僕が話す間もなく押し切って、行き先も告げずに強引にここまで連れ出したのはあんたの方ですよ、榎さん」
「…………」
「それに、何が気に入らないのか知らないが」
「ソウが気に入らない」
「…………」
「…………」
困った顔をして、古書肆は一つ溜め息を吐いた。
「一応断っておくけれど」
「何だ」
「総一郎さんとは何もありませんよ」
「……そんなことは尋いてない」
「なら」一体何が気に入らないんです?
「全部だ!」
向かいに座る中禅寺が軽い眩暈を覚えて眉根を寄せるのにも構わずに、
「大体、何でソウがお前の店まで来るのだ」
と、探偵は苛立ちを隠そうともせずに問う。
「年始の挨拶に来て下さっただけですよ」
「だから、何でソウが行く必要がある」
「絡むなぁ」
「隠すのが悪い」
「隠す心算なんかないよ。云う必要がないから云っていないだけだ」
「じゃあ今その必要があるんだから云え」
「面倒だなぁ」
「煩瑣いぞお前」
そして中禅寺は仕方なく、年が明ける前に成り行きで結成することになった甘味同盟のことと、その実地調査として昨日この店に来てスイートポテトを御馳走になったことを榎木津に告白した。
「これで全部だよ」
「……ソウの奴め」
怒りというよりも恨みに近い声音で低く呟く。ひどくらしくない振る舞いばかりするのが中禅寺には逆に可笑しかった。
「僕も、一つ尋いていいかい?」
「何をだ」
「あんた、何でそう総一郎さんを嫌うんだい?」
「決まっている」
端整な顔をこの上なく嫌そうな色に引き攣らせて。
「アニだからだ」
至極真面目に口にする。
数秒後。
珍しく、古書肆は口許を手の甲で隠して、しかし堪え切れないという顔で。
笑いを噛み殺し出した。
「笑うなっ!」
「いや、すまない…あんたがあんまり真面目に云うものだから」
「自分の過去のほぼ全部を知られていて、異様に勘が良くて、いつも何だか勝てないんだぞ。その上最近お前とお茶したことをさり気なく自慢しに来るのだ。まったく嫌味なことこの上ない」
「自慢?」
「ソウを見縊るなよ。多分、彼奴のことだから僕たちのことにも気付いている」
「あぁ、それは――」そうだろうね。
いつも、弟の振りをする彼に騙されない自分に、少しだけ含みのある表情を見せるので多分そうだろうという気配は感じていた。
「気付いる癖に気付いていない振りをして、僕を揶揄って楽しんでいるのだ」
「揶揄ってねぇ…だったら愉快だがなぁ」
「僕は不愉快だ」
「あんたも、身内には頭が上がらないらしい」
「ふん、忌忌しいだけだ」
らしくなく、そして何処か拗ねたような榎木津にまた小さく笑みをこぼすと古書肆は紅茶で喉を潤して再びスイートポテトに口を付けた。
「同じ店で同じものを食べたって、相手が違えば時間の意味も違いますよ」
頬杖を突いて外方を向いたままの探偵に穏やかな声で口にする。
「そろそろ、機嫌を直したらどうです?」
嫌そうな顔をして、しかし。
嫌悪する兄とは穏やかにお茶をしていたのに自分とは苦笑で応じられるのは我慢がならないと思い直し。
「ふん、洋菓子と珈琲とこの店には罪がないことは認めてやる」
尊大に云って、一口分だけ欠けたスイートポテトの皿を榎木津は中禅寺の方へ押しやった。
「これ、お前が食べていいぞ。僕は無理だ」
「有難くいただくよ」
その代償は彼の愚痴。相当溜め込んでいたらしく、食べ終わるまでの間ずっと総一郎に対する不満を聞かされることになった。
半分を聞き流しながら聞いていると。
「癪だから今日は僕の奢りだ」
食べ終わった頃、更に不満そうな顔でそう云われた。
「じゃあ、甘えさせてもらうよ」
そんなところまで張り合おうとするのが可笑しくて、また小さく笑うと榎木津は嫌そうな顔をした。
会計を済ませ、店を出る。
駅に向かい、途中までは同じ電車で、途中からそれぞれの目的地――自宅方面へと乗り換えて別れた。
「まったく、あの役立たずめ」
収まらぬ怒りを抱えながら、探偵は神保町で電車を下りると自社ビルの三階までの階段に怒りを打ち込むように靴音を立て、不機嫌を叩きつけるようにドアを開いた。
ドアベルは音とも云えない悲鳴のような声を上げ、応接テーブルで雑談していた探偵助手と秘書兼休治役の和寅が肩を竦めて恐る恐る探偵に視線を向ける。
「せ、先生お帰りなさいやし」
「榎木津さん…ど、どうかなさったんですか?」
「どうもこうもないッ!」
冷たい視線が探偵助手を捕らえた。
「カマオロカッ」
「は…はぃッ!」
小さくなっていた益田は益益肩身狭そうに裏返った声で返事をする。
「この…バカオロカめ、やり直しだッ!!」
備考>これは慥か昨年の1月の東京シティの無配本…だった気がする。
「この…バカオロカめ、やり直しだッ!!」
端整な顔を怒り一色で染め上げて、探偵は助手を怒鳴りつけると深深と溜め息を吐き大袈裟に嘆いた。
「まったく、何でこうもオロカなのだ。サガシやシラベは下僕の役目だから任せたというのに何という失態! 何という無能さ」
「え? ちょっと、待って下さい」
突然の罵倒はいつものことだが出掛ける前は確か「カマも偶には役に立つじゃないか」とどちらかと云えば上機嫌だったはずだ。詰られる原因として思いつくところは現状では唯一つ。しかし。
「僕ァ事前に断ったじゃないですか…多分榎木津さん好みの食感ではありませんよって」
「違ぁーう!」
年齢にも顔にも不相応に間延びした声で、探偵は眉間の皺を更に深くする。
「悪いのは洋菓子じゃなくて店だッ!」
「店?」
ますます解らない。
「いいからすぐにやら直す! 早く別の店を見つけて来いッ!!」
「見つけるって」
憤慨している当の榎木津からは、珍しい洋菓子を扱っている店か珍しい洋菓子を探してこいという指示しか受けておらず、かなり苦労して探し出した店は否定されてしまったのだからせめて何が気に入らなかったのかくらい教えてもらわなければ探しようもない。
「無能」
「はぁ、仰る通り僕は中禅寺さんみたいに云われずとも榎木津さんの云いたいところを察するなんて芸当出来ません」
そう返すと探偵はますます嫌そうな顔をして、
「……口にするのも不愉快だから一度しか云わないぞ」
と、この上なく不機嫌な顔を断った。
「はぁ」
本当に、最上級の嫌そうな顔をして、それでも探偵は「あー」とか「うー」とか煮え切らない声を発し、やがて深い溜め息を吐いて口にする。
「いいか、ソウが知らないことが条件だ! 解ったさっさと行って来い!!」
嘗てないほどの難題ぶりに、軽い眩暈を覚えながらも探偵助手は追い立てられるように事務所を後にしアテのない調査を仕方なく再開したのだった。
【誘致の綻】
正月も過ぎて一月も半分ほど終わり、小さいながらもその地に根差した神社として忙しい日の続いていた武蔵清明社も、漸く落ち着いた時間を取り戻して神主も何時もの生活に戻っていた。
昼下がり、自宅から続きの古書店の帳場。
旧年と同様、正月を終えたばかりだというのに連日葬儀に見舞われたかのような仏頂面で、これまた旧年と同様時代を感じさせる和綴じの本に店主は目を落としていた。
そこへ。
近付いてくる跫が一人分。大抵、客は古書店ではなく店主に用がある者ばかりで、そして眩暈坂と呼ばれるいい加減な傾斜がだらだらと続く長い坂を上ってくるのだがその客は坂とは反対方向から店へとやって来た。
店先で一度足を止め、店主の、達筆のようにも悪筆のようにも見える筆跡で「京極堂」と書かれた看板を見上げると、来客は小さく笑みを零して出入り口の戸に手を掛けると。
「うわはははははは! 矢っ張りここにいたなッ、この本馬鹿!」
外見の品の良さに反して勢い良く、無作法に戸を開けるとこれまた無作法に、静寂に包まれていた古書店どころか近所中に聞こえそうな豪快な声で来客は叫んだ。
店主はそれに動じた風もなく、更に溜め息ではなく微苦笑を湛えた顔で応える。
「明けまして御目出度うございます」
来客は一瞬だけ驚いたように数回瞬きをして、残念そうにその端整な顔を微笑ませた。
「矢っ張り、君は騙されてくれないみたいだ」
「すみません、彼奴とは無駄に付き合いが長いもので。それに総一郎さんとは雰囲気が全然違いますから…如何しても」
申し訳なさそうに弁解する古書肆に、来客の方はさして気にした風もなく笑顔で応じると話題を仕切り直すように小脇に抱えていた包みを帳場の机に置いた。
「改めて――あけましておめでとう。ちょっと、遅くなっちゃったけど。これ、御年始」
「すみません、わざわざ……」
「賄賂、兼ねてるから気にしないで?」
爽やかなな笑顔に不似合いな言葉をさらっと口にして本題を切り出す。
「今日、この後忙しいかな」
「特に先約はありませんが…何か?」
「良かった。じゃあ、出掛けよう」
このあたりの強引さは矢張り、あの探偵と兄弟であることを思わせる。
ただ兄の方が物腰の所為か切り出し方がスマートなので断りにくい。
「すみません、順番にお願いします」
「え? あぁ…そうか。うん、甘味同盟の実地調査のお誘いだね」
甘味同盟。
活動は不定期。活動内容は美味しい甘味――和菓子洋菓子を問わず――を扱う店、もしくは商品自体を見付けたら互いに連絡し合うこと。そして時間の都合が付く際は、総一郎の仕事を兼ねた実地調査に付き合うこと。
だっただろうか。
記憶の中から探し出した情報から要約すると、総一郎が悪戯っぽい笑顔で告げた言葉は単に「時間があるなら甘いものを食べに行こう」と誘っているに過ぎないことが判る。
「そういうことでしたら」
微笑って、
「愚妻に断って来ますから少しお待ち下さい」
と、古書肆はそのまま続きの母屋へと姿を消して、五分後には上着を羽織った姿で戻って来た。
「お待たせしました」
「じゃあ、行こうか」
店先に「骨休め」の札を下げ、戸締りをして総一郎の後に続く。眩暈坂とは反対方向に足を向けたのが少し意外だった。
「車でいらしたんですか?」
「そう。時間、勿体無いし。隣町の方からなら近くまで来られるから」
上機嫌に歩く背中に数歩遅れてついて行く。歩幅や姿勢は見慣れた探偵の歩き方によく似ていた。雰囲気も、今の状態ならとてもよく似ている。穏やかで、無邪気で――何か強烈な引力めいたものを持っていて。結局それに引っ張られてしまうところまで、本当に。
「どうかした?」
肩越しに振り返って尋ねる声に「いいえ」と笑顔で返すとそれ以上詮索はされなかった。
この辺の引きの良さが弟と違う点かもしれない。
車に着くと助手席に乗るよう促され、同乗した車は緩やかに街中へと向かう。運体は丁寧で他愛ない会話を交わしながらの短いドライブだった。通行の邪魔にならないよう路肩に停車して、立地のためか盛況な様子の少し高級そうな喫茶店へと促された。
「仕事でね、取引してるお店」
察して手短に説明すると、ドアを押し開き中へと足を踏み入れる。その後に続くと総一郎は既に入り口に立つ女給に席を頼んで中禅寺がついて来るのを確認すると案内に従い席に腰を下ろした。
「実はね」
中禅寺が座るのを待って切り出す。「ここの菓子職人、僕のお店の洋菓子を任せている人なんだけど。勉強熱心な人で。この前、珍しいお菓子の話を聞いて福岡まで行って来たんだって」
「福岡…ですか?」
「そう。――ほら、飛行機の国内線が運行してるでしょ? それで」
「わざわざ飛行機で…ですか?」
「その方が早いし。それに、機内食が重要でもあったから」
「何か珍しいものでも?」
「うん。それをね、今日は試して欲しいの」
総一郎は端整な顔を期待の笑みでほころばせて、見計らったように現れた女給が置いた皿乗った洋菓子を早速食べてみるよう促した。
そんな展開など予想だにせずに。
彼らが到着する少し前に店を出た一人の男性客が、満足そうな顔をして駅へと向かっていた。神保町方面の電車を待ちながら、一点だけ気になっている部分に思いをめぐらせる。
「問題は榎木津さんが食べられるかってところなんだよなぁ……」
ホームで電車の到着を待ちながら呟いたのは、誰あろう天下の薔薇十字探偵――の、助手であるところの益田龍一である。
「とりあえず、報告するだけ報告してみよう」
程なくやって来た電車に軽い足取りで乗り込んで、探偵助手は神保町で下車し真っ直ぐ職場に戻り結果を探偵に報告した。すると、
「おぉ、カマも偶には役に立つじゃないかッ!」
などと、珍しく褒められて逆に落ち着かない気持ちになった。
「あのですね、一つだけ気になることがあるんです」
「ん?」
「食感がですね、もしかしたら…と云うか、多分、榎木津さんの好みじゃない気がするんです」
「なぁんだ、そんなことか」
そんなこと、だったらしい。
「いいよ別に」
ぞんざいに応えて探偵は、鼻歌交じりで自室に戻る。
あれこれ予定を組み立てて――翌日を待った。
昼過ぎに目を覚ました探偵は、遅い朝食――世間では昼食の時間だったのだが――を済ませ、いつもの奇抜さから比べるとかなりおとなしい格好をして、上機嫌に事務所を出て行った。
電車を乗り継いで中野へ。彼に会うのは久し振りだった。
正月の賑わいがナリを潜める頃までは、神主としての仕事が立て込みいつもなかなか時間を取れない。
しかし、それももう落ち着いていい頃だ。
変わり行く車窓を眺めながら中野まで運ばれて、下車した駅を後にして、だらだらといい加減な傾斜の坂道を軽い足取りで上って目的の古書店の中の様子を探ると目的の人物はいつもの場所にいつものようにいつもの顔で座っていた。
小さく、満足そうに微笑って手を掛けた戸を勢いよく開く。
「うわはははははは! 矢っ張りここにいたなッ、この本馬鹿!」
古書肆が控えめに噴出したのを一瞬で隠すと苦笑をゆっくりと時間を掛けた一回の瞬きでいつもの不機嫌な表情を取り戻して探偵を睨むように見た。
「戸はもう少し丁寧に開け閉てしてくれないかなぁ。外れたり壊れたりしたら本に障るじゃないか」
「仕方がない、この僕が来たのだ」
「それで? 一人かい?」
「二人に見えるのか?」
「とりあえず、また面倒な事件に巻き込もうってことじゃあないようで安心したよ」
「ふふ、そんな無粋なもの連れてなどくるものか」
いやに機嫌がいい。
それが、古書肆に余計嫌な予感を抱かせる。
「暇だろう?」
「忙しいですよ」
「暇じゃないか」
「あんたにはただ本を読んでいるようにしか見えないかもしれないが、僕はここでこうして客を待っているんだ。だから断じて暇なんかじゃないよ」
「よし、出掛けよう」
「だから」
「行くぞ」
人の話など聞こうともせず、古書肆が読んでいた本をひったくるように取り上げると満面の笑みで反論全てを飲み込ませた。
深い溜め息を吐いて、相変わらずの遣り方に仕方なく折れる。
「待っていて下さい。千鶴子に断って来ます」
追い出すように探偵の店の外に出すと、「骨休め」の札を掲げて戸締りをし、続きの母屋を経由して――矢張り五分後には玄関から姿を現した。
「で、何の用です?」
「着けば解る」
「勿体振るなぁ」
「ふふ、偶には外でお茶をするのも悪くないだろう」
「……榎さん」
「なぁに?」
「何を企んでいるんです?」
不穏な気配に足を止めると当の探偵は「勘繰るなよ」と悪意なく笑って見せた。目的地に着くまで話す気がないらしい。
中野駅に着いて電車に乗り、一度路線を乗り換えて数駅目で下車をする。下りた街の風景は見慣れた場所ではなかった。
「ここは……」
「少し歩くぞ」
榎木津はポケットに忍ばせていたメモの簡易地図を見ながら歩く。
その背中に今日も数歩遅れて中禅寺は歩いていた。
矢張り、良く似ている。
歩き方や姿勢。少し癖のある髪の流れ。
「……ん?」
「どうかしたのか?」
「いや」
見覚えのある風景に重なる。
見覚えがあると云うか、ここは。
「あぁ、この角だな」
曲がると大通りに合流し、その賑やかな通り洒落た概観の喫茶店が姿を見せる。
「この店か」
西洋風のドアを開けて探偵は中に入る。
既視感。
昨日、彼の兄に案内されたばかりの店だ。
如何いう心算なのだろう。
真意を測りかねて、しかし中禅寺はそんな思考を隠して探偵に続く。
「いらっしゃいませ」
出迎えた女給は昨日とは違う人物だった。
「お二人様ですね、それではこちらのお席へどうぞ」
案内された席は、昨日とは通路を挟んだ反対側。
「お決まりになりましたら及び下さい」
「いいよ、今で」
革張りのメニュを受け取るなり、探偵は目的の名前を探す。
「どれだ? えぇと……」
けれど結局メニュの中から探すのを諦めて、さっきのメモを取り出すと間延びした声で読み上げた。
「すいーとぽてと、二つ。後――珈琲? 紅茶?」
「僕は紅茶で」
「じゃあ、僕は珈琲にしよう」
「畏まりました」
女給が去ると、悪戯っぽく笑って「どうだ?」と徐に尋ねてきた。
「どうって、何がです?」
「店」
「悪くないよ」
「知っているか?」
「スイートポテト、ですか?」
「そう、それ。そのすいーとぽてと」
「これは…洋菓子に入るんだろうなぁ。和製の洋菓子、と云っても差し支えないかもしれないが――大阪に、確か昭和三年に創作したっていう菓子店もあるが最近は福岡の方が有名かもしれない。こっちは戦後、国内線の運行開始から添乗員の間で評判になったそうだよ。ここの店主は福岡の方を聞いて学んで来たとか云う話だ」
「ふうん」
相変わらず聞けば何でも答える古書肆の言葉を榎木津は珍しく機嫌良く聞いていたが。
「ん?」
頷いてから、気付く。
今、何て云った?
「お待たせ致しました」
着想を攫ったのは女給の愛想の良い声と目の前に置かれた洋菓子。そして香りの良い珈琲。
「ごゆっくりどうぞ」
完璧な笑顔で云い置いて去っていく。着想は彼女に回収されてしまったようで何か違和感を感じた気がしたのだけれど霧散してしまったようだった。
「よし、食べよう」
添えられたスプーンで端を削って口に含む。
甘い、薩摩芋の味がした。
しかし。
「あぁ、矢っ張りあんたは苦手な食感だったみたいだな」
まただ。
「おい」
「何だい?」
顔を上げた中禅寺と目が合う。
そして、視界を邪魔する彼の記憶に。
「……ソウ?」
自分に良く似た顔が視えた。でも自分の記憶にはないのだから、それは。
「お前、ソウとも来たのか?」
思いがけないところに誘致の綻を見付けて探偵は表情を曇らせた。
何でもないことのように、古書肆はあっさりそれを肯定する。
「この店にかい? 来たよ、昨日」
「昨日?」
「突然店にいらしてね。実地調査に同行したんだ」
思い出して、可笑しそうに小さく笑う。
「今日、あんたが入って来た時と同じ台詞を同じ行動で口にするものだから。矢っ張り兄弟っていうのはそういうところも解るものなのかな。顔が似てるだけに堪えるのが大変だった」
「聞いてないぞ」
「僕が話す間もなく押し切って、行き先も告げずに強引にここまで連れ出したのはあんたの方ですよ、榎さん」
「…………」
「それに、何が気に入らないのか知らないが」
「ソウが気に入らない」
「…………」
「…………」
困った顔をして、古書肆は一つ溜め息を吐いた。
「一応断っておくけれど」
「何だ」
「総一郎さんとは何もありませんよ」
「……そんなことは尋いてない」
「なら」一体何が気に入らないんです?
「全部だ!」
向かいに座る中禅寺が軽い眩暈を覚えて眉根を寄せるのにも構わずに、
「大体、何でソウがお前の店まで来るのだ」
と、探偵は苛立ちを隠そうともせずに問う。
「年始の挨拶に来て下さっただけですよ」
「だから、何でソウが行く必要がある」
「絡むなぁ」
「隠すのが悪い」
「隠す心算なんかないよ。云う必要がないから云っていないだけだ」
「じゃあ今その必要があるんだから云え」
「面倒だなぁ」
「煩瑣いぞお前」
そして中禅寺は仕方なく、年が明ける前に成り行きで結成することになった甘味同盟のことと、その実地調査として昨日この店に来てスイートポテトを御馳走になったことを榎木津に告白した。
「これで全部だよ」
「……ソウの奴め」
怒りというよりも恨みに近い声音で低く呟く。ひどくらしくない振る舞いばかりするのが中禅寺には逆に可笑しかった。
「僕も、一つ尋いていいかい?」
「何をだ」
「あんた、何でそう総一郎さんを嫌うんだい?」
「決まっている」
端整な顔をこの上なく嫌そうな色に引き攣らせて。
「アニだからだ」
至極真面目に口にする。
数秒後。
珍しく、古書肆は口許を手の甲で隠して、しかし堪え切れないという顔で。
笑いを噛み殺し出した。
「笑うなっ!」
「いや、すまない…あんたがあんまり真面目に云うものだから」
「自分の過去のほぼ全部を知られていて、異様に勘が良くて、いつも何だか勝てないんだぞ。その上最近お前とお茶したことをさり気なく自慢しに来るのだ。まったく嫌味なことこの上ない」
「自慢?」
「ソウを見縊るなよ。多分、彼奴のことだから僕たちのことにも気付いている」
「あぁ、それは――」そうだろうね。
いつも、弟の振りをする彼に騙されない自分に、少しだけ含みのある表情を見せるので多分そうだろうという気配は感じていた。
「気付いる癖に気付いていない振りをして、僕を揶揄って楽しんでいるのだ」
「揶揄ってねぇ…だったら愉快だがなぁ」
「僕は不愉快だ」
「あんたも、身内には頭が上がらないらしい」
「ふん、忌忌しいだけだ」
らしくなく、そして何処か拗ねたような榎木津にまた小さく笑みをこぼすと古書肆は紅茶で喉を潤して再びスイートポテトに口を付けた。
「同じ店で同じものを食べたって、相手が違えば時間の意味も違いますよ」
頬杖を突いて外方を向いたままの探偵に穏やかな声で口にする。
「そろそろ、機嫌を直したらどうです?」
嫌そうな顔をして、しかし。
嫌悪する兄とは穏やかにお茶をしていたのに自分とは苦笑で応じられるのは我慢がならないと思い直し。
「ふん、洋菓子と珈琲とこの店には罪がないことは認めてやる」
尊大に云って、一口分だけ欠けたスイートポテトの皿を榎木津は中禅寺の方へ押しやった。
「これ、お前が食べていいぞ。僕は無理だ」
「有難くいただくよ」
その代償は彼の愚痴。相当溜め込んでいたらしく、食べ終わるまでの間ずっと総一郎に対する不満を聞かされることになった。
半分を聞き流しながら聞いていると。
「癪だから今日は僕の奢りだ」
食べ終わった頃、更に不満そうな顔でそう云われた。
「じゃあ、甘えさせてもらうよ」
そんなところまで張り合おうとするのが可笑しくて、また小さく笑うと榎木津は嫌そうな顔をした。
会計を済ませ、店を出る。
駅に向かい、途中までは同じ電車で、途中からそれぞれの目的地――自宅方面へと乗り換えて別れた。
「まったく、あの役立たずめ」
収まらぬ怒りを抱えながら、探偵は神保町で電車を下りると自社ビルの三階までの階段に怒りを打ち込むように靴音を立て、不機嫌を叩きつけるようにドアを開いた。
ドアベルは音とも云えない悲鳴のような声を上げ、応接テーブルで雑談していた探偵助手と秘書兼休治役の和寅が肩を竦めて恐る恐る探偵に視線を向ける。
「せ、先生お帰りなさいやし」
「榎木津さん…ど、どうかなさったんですか?」
「どうもこうもないッ!」
冷たい視線が探偵助手を捕らえた。
「カマオロカッ」
「は…はぃッ!」
小さくなっていた益田は益益肩身狭そうに裏返った声で返事をする。
「この…バカオロカめ、やり直しだッ!!」
備考>これは慥か昨年の1月の東京シティの無配本…だった気がする。
PR
この記事にコメントする