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真壁華夜がその日・その時感じたことや考えたことの整理或いは備忘録的に使われることもあれば萌えメモとして使われることもあるし、日常の愚痴をこぼしていることもあるかと思います。基本的に偏屈な管理人sが綴っているのでその辺を許容できる人向け。反感買いそうなものは裏日記に書くようにしています。
2008/05/20 (Tue)
13:21:49
●好きじゃなきゃ、かけないと思うんです。
原作から得た世界(世界観)を自分の中で再構成して、原作のキャラを自分の中で消化して、思考や言動をトレースして。その中で描いた世界をカタチにする――それが同人活動で、それでいいんじゃないかなと。
好きを、前面に出してかくひともいる。
真壁は、好きは勿論そうなんだけど、むしろその好きな世界の「空気」を感じて欲しいと思いながらかいている。読んだ後に、その世界の余韻に浸ってくれたらと思っている。
作品に何をこめるのかはかき手によると思うのね。何をこめちゃいけないってのはないだろうし。まぁヨコシマだってのはあるだろうけど。
だから、コメントもね。もらえたら勿論嬉しいんです。欲しい。上でも書いたけど。
でもそれは結果とか作品に付随してくるもので。
ただ「言葉に出来ない」とか「言葉にならない」とか、そういう読後感を持ってもらえてたりするならコメントはなくても嬉しく思う。「上手く言えない」から、飲み込んでしまったとか。そういうのは真壁には判らないし伝わってこないのでリアクションがないと判断することになってしまうんだけど、それでも、もしそういうところに理由があるなら嬉しい。
じんわりと、自分の中に残った世界の余韻だとかキャラの想いだとか生き様とか振る舞いに浸ってもらえていたりするならそれだけでもいい。
でも結局それは真壁には判らない嬉しさなんだけど(苦笑)。
だから、そういう時は思いのたけをこう…拍手とかにぶつけていただけるとありがたい。じたばたは是非あやつにぶつけてください。そのための手段として、拍手は実に有効だと思った。気付いた。拍手の有用性について。そうかそういう存在価値があるわけかと。
リアクションがないっていうのはそれを、どうにかして伝えたいって思っていただけるようなカタチに、自分が思っているほどには上手く出来ていないんだろうなと。
そしてそういう未熟さを、徐々に改善していけたらいいなと。
でもそれはリアクションを得るためではなくて。
より正確に――自分の中にある世界を伝えられるようになりたいという創作をするものとしての向上心でもあり。
好きだからこそそうありたいと願うんだと思う。
どうでもいいならそれっぽく仕上げてそれでおしまいでもいいハズだから。
意識してどうこうなるもんでもありませんし。
気が付いたらそうなっていた。
技術の部分はそういうものだと思うし。
●ホンモノは常に自分の中にしかなくて。
カタチにしたとき、それは最初のニセモノ(ホンモノではないという意味においてのニセモノ)になるわけだけれども。
できるだけ、ホンモノに近いものにしたい。好きだから、そういう部分にも拘るんだと思う。
好きでなきゃ、原作の世界を自分の中に取り込めない。
好きでなきゃ、そのキャラを自分の中で息づかせられない。
それは確かだと思うから。
好きでなきゃその世界や、キャラや、CPについて考えないだろうし。
好きでそれらを考えているうちに、妄想は生まれてくるんだろうし。
それをカタチにしたいっていう衝動が、同人活動(同人的創作活動)に踏み込む切欠や動機になるわけで。
カタチにしたら、やっぱりその世界を共有できるひとがいたら嬉しいなと思って、公開して――同士を求めるわけですよね。
そういうスタイルで今までやってきた。
それが同人だと考えている。
もしかしたら一般的な見解ではないのかもしれないけれど、思いっきり外れてもいないと思うので。
真壁はこうだよ、でいいと思うことにした。
そうしないと何もできないし。
サイトを畳んで同人から足洗うしかないし。
でも真壁はまだ書きたい世界がある。
カタチにせずにはいられない、原作やキャラやCPへの愛着がある。
それでいいんじゃないかと思うことにした。
それは突き詰めていけば、好きだからかいてることになるんじゃないかなと。
かいてるのは好きだからなんだって、後追いの理由でも――「好き」には違いないと思うから。
●そう割り切ってもいいのかなと思った。
昨日は絵茶を貸切にして、同人の根幹の部分について話し込んでいた真壁です。
昨日の欝日記に対する一つの結論。
あるいは終止符。
欝日記ではないんだけど、まぁぐだぐだいいわけめいて感じるひともいるかもしれませんし。
畳んでおきます。
あくまで、真壁の認識ね。
人それぞれ、違っていいと思います。ただ真壁はこうなんだ、っていう主張。主張するほどのもんでもないんだけど。
●先週もリアクションと供給について語っていたなと考えつつ。
リアクション――コメントもね。もらえたら勿論嬉しいんです。欲しい。
でもそれは結果とか作品に付随してくるもので。
ただ「言葉に出来ない」とか「言葉にならない」とか、そういう読後感を持ってもらえてたりするならコメントはなくても嬉しく思う。「上手く言えない」から、飲み込んでしまったとか。そういうのは真壁には判らないし伝わってこないのでリアクションがないと判断することになってしまうんだけど、それでも、もしそういうところに理由があるなら嬉しい。
じんわりと、自分の中に残った世界の余韻だとかキャラの想いだとか生き様とか振る舞いに浸ってもらえていたりするならそれだけでもいい。
でも結局それは真壁には判らない嬉しさなんだけど(苦笑)。
だから、そういう時は思いのたけをこう…拍手とかにぶつけていただけるとありがたい。じたばたは是非あやつにぶつけてください。
そのための手段として、拍手は実に有効だと思ったんですよ。
改めて考えてみて。
やっと気付いたというか(遅っ)
そんなことも悟った次第。
●今日は今まで通りかける気がしてきた。
昨日は絵茶を貸切にして、同人の根幹の部分について話し込んでいた真壁です。
昨日の欝日記に対する一つの結論。
あるいは終止符。
欝日記ではないんだけど、まぁぐだぐだいいわけめいて感じるひともいるかもしれませんし。
畳んでおきます。
あくまで、真壁の認識ね。
人それぞれ、違っていいと思います。ただ真壁はこうなんだ、っていう主張。主張するほどのもんでもないんだけど。
●先週もリアクションと供給について語っていたなと考えつつ。
リアクション――コメントもね。もらえたら勿論嬉しいんです。欲しい。
でもそれは結果とか作品に付随してくるもので。
ただ「言葉に出来ない」とか「言葉にならない」とか、そういう読後感を持ってもらえてたりするならコメントはなくても嬉しく思う。「上手く言えない」から、飲み込んでしまったとか。そういうのは真壁には判らないし伝わってこないのでリアクションがないと判断することになってしまうんだけど、それでも、もしそういうところに理由があるなら嬉しい。
じんわりと、自分の中に残った世界の余韻だとかキャラの想いだとか生き様とか振る舞いに浸ってもらえていたりするならそれだけでもいい。
でも結局それは真壁には判らない嬉しさなんだけど(苦笑)。
だから、そういう時は思いのたけをこう…拍手とかにぶつけていただけるとありがたい。じたばたは是非あやつにぶつけてください。
そのための手段として、拍手は実に有効だと思ったんですよ。
改めて考えてみて。
やっと気付いたというか(遅っ)
そんなことも悟った次第。
●今日は今まで通りかける気がしてきた。
●好きじゃなきゃ、かけないと思うんです。
原作から得た世界(世界観)を自分の中で再構成して、原作のキャラを自分の中で消化して、思考や言動をトレースして。その中で描いた世界をカタチにする――それが同人活動で、それでいいんじゃないかなと。
好きを、前面に出してかくひともいる。
真壁は、好きは勿論そうなんだけど、むしろその好きな世界の「空気」を感じて欲しいと思いながらかいている。読んだ後に、その世界の余韻に浸ってくれたらと思っている。
作品に何をこめるのかはかき手によると思うのね。何をこめちゃいけないってのはないだろうし。まぁヨコシマだってのはあるだろうけど。
だから、コメントもね。もらえたら勿論嬉しいんです。欲しい。上でも書いたけど。
でもそれは結果とか作品に付随してくるもので。
ただ「言葉に出来ない」とか「言葉にならない」とか、そういう読後感を持ってもらえてたりするならコメントはなくても嬉しく思う。「上手く言えない」から、飲み込んでしまったとか。そういうのは真壁には判らないし伝わってこないのでリアクションがないと判断することになってしまうんだけど、それでも、もしそういうところに理由があるなら嬉しい。
じんわりと、自分の中に残った世界の余韻だとかキャラの想いだとか生き様とか振る舞いに浸ってもらえていたりするならそれだけでもいい。
でも結局それは真壁には判らない嬉しさなんだけど(苦笑)。
だから、そういう時は思いのたけをこう…拍手とかにぶつけていただけるとありがたい。じたばたは是非あやつにぶつけてください。そのための手段として、拍手は実に有効だと思った。気付いた。拍手の有用性について。そうかそういう存在価値があるわけかと。
リアクションがないっていうのはそれを、どうにかして伝えたいって思っていただけるようなカタチに、自分が思っているほどには上手く出来ていないんだろうなと。
そしてそういう未熟さを、徐々に改善していけたらいいなと。
でもそれはリアクションを得るためではなくて。
より正確に――自分の中にある世界を伝えられるようになりたいという創作をするものとしての向上心でもあり。
好きだからこそそうありたいと願うんだと思う。
どうでもいいならそれっぽく仕上げてそれでおしまいでもいいハズだから。
意識してどうこうなるもんでもありませんし。
気が付いたらそうなっていた。
技術の部分はそういうものだと思うし。
●ホンモノは常に自分の中にしかなくて。
カタチにしたとき、それは最初のニセモノ(ホンモノではないという意味においてのニセモノ)になるわけだけれども。
できるだけ、ホンモノに近いものにしたい。好きだから、そういう部分にも拘るんだと思う。
好きでなきゃ、原作の世界を自分の中に取り込めない。
好きでなきゃ、そのキャラを自分の中で息づかせられない。
それは確かだと思うから。
好きでなきゃその世界や、キャラや、CPについて考えないだろうし。
好きでそれらを考えているうちに、妄想は生まれてくるんだろうし。
それをカタチにしたいっていう衝動が、同人活動(同人的創作活動)に踏み込む切欠や動機になるわけで。
カタチにしたら、やっぱりその世界を共有できるひとがいたら嬉しいなと思って、公開して――同士を求めるわけですよね。
そういうスタイルで今までやってきた。
それが同人だと考えている。
もしかしたら一般的な見解ではないのかもしれないけれど、思いっきり外れてもいないと思うので。
真壁はこうだよ、でいいと思うことにした。
そうしないと何もできないし。
サイトを畳んで同人から足洗うしかないし。
でも真壁はまだ書きたい世界がある。
カタチにせずにはいられない、原作やキャラやCPへの愛着がある。
それでいいんじゃないかと思うことにした。
それは突き詰めていけば、好きだからかいてることになるんじゃないかなと。
かいてるのは好きだからなんだって、後追いの理由でも――「好き」には違いないと思うから。
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